医療への刑事罰の限界を論ずる

-医療過誤・医療倫理をめぐり-

1. 1 はじめに
生殖補助医療を規制する法案化の議論が進んでいる。この中には、「代理懐胎を斡旋・施術した者(医師を含む)」に対して刑事罰を課するとする内容が含まれている。個別医療行為に対する刑罰としては、初めてのものである。しかし、この点について、社会的には極めて問題意識が低い。また、医療過誤に対して、警察の介入が積極化している。そこで、本稿では医療問題の全体を捉えて、あらゆる医療問題に関して、医療従事者への刑事罰は、原則として強く抑制すべきであることを論証する。この根本的問題についての解決がなされないままに医療問題が検討されていることこそが、危機といえる。
従前、医療過誤に対する刑事罰は、業務上過失致死罪であった。臓器移植や安楽死についても、刑法の傷害罪または殺人罪が加わるだけであった。これに対して、代理懐胎については、代理母の真の自由意思に基づく同意がある場合には、刑法に触れるわけではないために、新たに立法により刑事罰が新設されるという状況である。
刑事罰とは、民事罰や行政罰に比較し、最も重い制裁措置であり、医療問題に限らず一般的に刑事罰は謙抑的でなければならない。しかし、特に医療問題に対して、刑罰に頼ることは最小限に止めるべきである。また、医療問題(医療による犯罪)にも、医療過誤と医療倫理違反の2つの類型がある。後者については、さらに刑事罰は抑制すべきである。特に、代理懐胎の禁止に対して刑罰を用いようとする者は、誠に刑罰の本質を知らざるもので、憲法違反(適正手続違反、自己決定権・幸福追求権の侵害など)となることを看過している。
以上のとおり、新しい立法による刑罰の設定ばかりでなく、そもそも一般的に医療過誤、臓器移植、安楽死、代理懐胎などの医療問題に対して刑罰をもって制裁するのではなく、他の方法によるべきことを検討すべきである。結論としては、刑事罰の縮減をすべきであり、その代わりに民事訴訟の拡大が必要であり、最も重要なことは情報公開と自由な討議に基づく自治的規律作りである。

2. 医療過誤問題
(1) 刑事罰依存主義
一般的に、法律制度の未発達な段階においては、秩序の維持のために刑事罰に依存することとなる(注1)。古代中国から見られるように、国家による刑事罰が法律の中心をなす。イスラム教における「目には目を」の思想も同様である。被害救済も、刑事罰の一環として行われてきた例もあった。このような古代あるいは後進国型の刑事罰依存主義が、中国ばかりか日本の長い伝統となってきた。一般的に、民事訴訟あるいは行政手続法が発展しない場合には、刑事罰に依存することとなる。
日本においては、明治以来、法曹人口も少なく、民事裁判の未発達の中で賠償額は低く抑えられ、被害者救済は充分ではなかった。その背景には、明治時代の初期から法制度を作る近代化に当たり、警察を全国に配備し、いわば警察の支配による政治体制を作り上げたことが原因していた。司法による支配を中心にせず、警察中心による法律の支配を作り上げた。民・民の紛争又は民・官の対立について、司法による自治的民主的方法によるのではなく、権力による安上がりな方法をとった。そのため、警察権力による、政治に対する介入、労働事件に対する介入、表現の自由・思想の自由に対する弾圧、学生運動に対する弾圧などが行われた。いわば刑事事件のオンパレードとなった。他方、行政手続においては、政・官・財の鉄のトライアングルを守るために、企業に対する営業停止や取消処分は全くと言っていいほど発動されなかった。業界団体の規制は、正に談合とカルテルを守るための規則であり、何ら消費者の被害を防止するためのものではなかった。税理士に対しては大蔵省が監督し、医師に対しては厚生省が監督してきた。ここにおいては、大蔵省を退職した者が税理士になり、厚生省の役人(医師を含む)が医療界と癒着していたため、厳しい措置はとられなかった。また、行政の指導においては、わずかの人数で多く情報を収集することもできず、被害を事前に防止するような体制はとられていなかった。このようにして、昭和の終わる頃まで、民事訴訟における被害回復も充分でなく、行政の予防機能もほとんど発揮されなかった。
このような中で、社会秩序を維持するために、いわば目立つ者を「見せしめ」「生贄」として刑事罰に晒す(一罰百戒)という方法が安易にとられてきた。
しかし、威嚇することは、一時的な予防効果を発揮しても、長期的な改革を進めることになるわけではない。なぜなら、刑事制裁を科する手続は極めて密行性を有し、閉鎖的であるため、手続の透明性が決定的に欠けるという欠陥を有している。全ての情報を公開した上での多様な議論をオープンにすることができない。積極的前向きな改善を検討する場もない。それ故、特に、医療行為の是非を検討するのに、刑事手続は相応しくないということになる。
(2) 規制緩和時代(民事救済)
規制緩和の時代に入り、市場の論理に則り、事後救済型の社会になりつつある。この場合には、民事手続を通じて被害回復がされ、一定の制裁と予防機能が発揮される。最近では、高額の賠償が認められつつあり、以前に比べ、制裁や予防機能も認められるようになった。たとえば米国では、製造物責任(PL)、医療過誤などは民事手続によって解決されてきたのであり、刑事事件になることは原則としてなかった。
日本の法文化も進歩してきた以上、医療過誤なども原則として民事手続による解決をすべきである。民事事件であれば、対等な当事者同士で自由な論議をなしうる。もはや、社会の変革の中で、刑事依存主義を捨てるべきことは明らかである。しかるに、有識者、刑事当局もバランスのとれた適正な法規制のあり方を理解していないためか、日本の伝統的な刑事依存主義から容易に脱却できないでいる。
(3) 行政的制裁
行政的制裁は、改善命令、営業の停止、免許の取消等を意味する。弁護士、税理士などについては、戒告、営業停止、資格取消を意味している。医師に対しては、医師法第7条により、医業停止、免許取消が規定されている。民事事件や刑事事件が提起され、あるいは確定したときには、医道審議会においてこの行政的制裁が発動される。しかし、医道審議会の歴史においては、刑事処罰を受けた内のさらに極く僅かの者への処置に止まっていた。そこで、医道審議会では、平成14年12月に、より厳しい処置をとるとの方向を打ち出した。しかし、あくまで、刑事罰を受けた者について、これに連動して処分する方向へ拡大したに過ぎない。確かに、この点の改善は必要といえる。しかし、行政的制裁において重要であることは、刑事の結果に追随することだけではない。民事や刑事と異なる「予防」という重大な別の役割を担うべきである。民事事件や刑事事件を引き起こしそうな要注意人物に対し、注意処分(戒告)あるいは数日間の営業停止等、軽い処分により被害の予防、事件の防止をすることである。現在まで、医道審議会はそのような役割が担わされていない。その理由は、医師法第7条には戒告の制度はなく、また、行政手続きにおいて、正確な情報収集を基に、適正な措置をとることが極めて難しかったからである。いわゆる一般的な行政指導が公正、平等、かつ適切に運用されてこなかったことが批判され、これを縮小し、事後監視型に移行するべきとされてきたことからも明らかなように、高度な専門家たる医師に容易に行政指導をなしうるものでもない。しかし、経済紛争の処理に対して、自己責任を強調する事後救済型に移行することに合理性があるとしても、人体被害の伴う医療過誤については、予防という観点がより重要視されなければならない。そこで、以下の情報公開と自治的規律手続の下に、このシステムの支えを受けて、行政的予防措置を行うことが妥当である。
(本章は、既に「産婦人科の世界」平成一五年一〇月号に掲載されたが、その後、厚生労働省は、医療ミスを犯す医師らを刑事処分に至らなくても行政処分の対象とし、処分内容をホームページで公開するとの新しい方針を打ち出した -朝日新聞平成一五年一二月二三日一面)
(4) 情報公開
民事手続または刑事手続は、医療事故の防止効果を伴うとしても、直接的な事前の予防措置ではない。事前の予防措置や包括的な教育指導制度はどのようなものであるかを検討しなければならない。まず医師に対して予防措置としての注意処分を出す場合において、重要なことは情報公開である。現場における医療のありかた、患者の意向、当該病院における施設、薬物の手配状況などについての総合判断の中で、医師の行為規範が決められていかなければならない。そのためには、患者・看護師等からの情報提供が必要になる。そして、医道審議会などにおいては、これを客観的に分析した上で措置をとらなければならない。戒告だけではなく、営業停止に至る程の制裁を課すほど、手続は厳格になされなければならない。そして、指導の対象となる医師自体の意見・主張を十分に聞き取り、これの弁解手続を保障しなければならない。このような手続・制度が広く円滑に進むようになれば、民事裁判も減少するし、ましてや、刑事裁判はごく例外的な措置となる。
これに関し、横浜市立病院は既に、全ての疑わしき医療措置について、記者会見を通じて公表していると仄聞している(注2)。患者や市民に対して、徹底的な情報公開をすることにより病院内部の事実を明確にしつつ改善をしていくやり方は、現在の制度の中では妥当な選択の1つと考えられる。
これに対して、東京女子医科大学病院においては、NHKによって内部の状況が報道されたところ、警察に早期に多くの情報を提供している事が放映され、筆者としては驚きを隠せなかった。病院の側で医療過誤を防止し、情報を公開しようとすることについては大いに評価出来るが、それは警察へ通報することではない。警察へ通報することは刑事事件の端緒や告発になるのであり、むしろするべき事ではないのである。東京女子医大が、改善を急ぐあまり、日本における刑事裁判のありかたを認識しないままに行動したとすれば、極めて問題であるといわなければならない。この点、厚生労働省「リスクマネージメントマニュアル作成指針」にも同様の記載があり、これに従ったものとも思われるが、この記載自体も既に専門家により批判されていることに留意すべきである(注3)。
記者会見を含めて情報公開をしても、刑事事件としての告発になるわけではないのであるが、他方、警察への通報は、捜査の密行性の故に情報公開に反する結果に陥ることがあることを認識すべきである。
(5) 自治的規律
医療問題について最も重要なことは、以下のとおり、手続の透明化、自由な討議の保障、これを基にした自治的、可変的な規律を常に維持することであろう。
(a) 情報の収集
(b) 情報の分析
(c) 関係者間の自由な討議
(d) 病院内における報告、討議
(e) 病院としての措置(教育的措置、戒告、減給等)
(f) 被害者との協議(保険会社との協議)
(g) 自治的規律の策定
(h) 学会への報告、討議
(i) インターネットによる公表、記者会見
(j) 自治体、厚生労働省への報告
以上のような考え方については、既に、厚生労働省・医師会・各病院におい
ても、指針、ガイドライン、マニュアルとして公表されている(注4)。これらはさらに、日常的に予防のために改善や点検を加えるべきであろう。

3. 医療の特質
刑事罰は前述したように、「見せしめ」「生贄」「スケープ・ゴート」として、多くの犯罪者の中から、とりわけ目立つ者のみを捕らえ、予防すること(一罰百戒)に特徴がある。しかし、現代では、殺人、傷害、強盗、窃盗、誘拐など典型的自然犯、麻薬犯などの重大犯については、すべての犯人を捕らえる努力がされており、以前に比べ進歩したといえる。しかし、下記のような犯罪は、近代社会において秩序維持のために設定されたが、すべての犯人をとらえることは不可能である。依然として「見せしめ」「一罰百戒」の方法をとらざるを得ない。医療問題はこの類型に入る。
(a) 交通事犯
スピード違反、酒酔い犯などの大量犯は、その一部処罰をもって「見せしめ」とする。
(b) 経済事犯
詐欺罪、消費者保護法違反、貸金業法違反、脱税犯、証取法・独禁法違反についても、大量事犯であり、証拠の不明確性も多く一部の処罰に止まる。
(c) 売春防止法違反
「刑罰は倫理に介入しない」という原則と調和させるため、搾取と強制を伴う売春助長行為を行う斡旋業者のみを処罰する方法(性行為をする男女を処罰しない廃止主義)を採用しつつ(注5)、さらに現実には斡旋業者の一部のみの処罰に止まる。
(d) 社会風俗違反
わいせつ物陳列罪、痴漢(迷惑防止条例)、未成年者援助交際(青少年育成条例)、ストーカー行為などの規制等に関する法律違反
(e) その他
名誉毀損罪、贈収賄罪、談合罪、堕胎罪、公職選挙法違反、労働基準法違反、知的所有権法違反、薬事法違反など、枚挙に暇がない。
医療問題は、この範疇の最も典型であることが分かる。医療過誤、医療倫理問題も含め、医療とは、患者の同意の下に身体に危害を加えることに特質がある。患者の同意の下に、最も価値の高い治療という行為が大量になされている。この内、刑事罰として値するものは、故意、重過失である。形式上は、過失行為すべてが処罰の対象となるはずであるが、現実には故意、重過失だけを処罰することしかなしえない。医療においては、軽いミスは必ず起こるといえる。「To Err Is Human」(注6)という標語は医療の特質を示しており、それ故、ミスもやむを得ないものであり、すべてのミスが刑事事件になるわけではない。さらに、医師の裁量性から、ミスともいえないとの議論にもなる。それ故、まず第1に故意、重過失を選別する必要がある。その意味では、典型的な「見せしめ」「一罰百戒」が当てはまる。わかりやすく言えば、医療における「単なる過失」は刑事罰を課せられない。しかし、過失と重過失(故意も含めて)の選別は、それ程容易ではない。警察に踏み込まれたときには、単なる過失も犯罪であり、社会的にはマスコミを通じ、重過失(または故意)の烙印が押される。すなわち、本人がいくら注意していても、社会的には重過失として「生贄」とされる。それ故、医療従事者は、まず客観的に故意、重過失とみられないよう常に防衛する必要がある。たとえば、前記マニュアルなどを遵守することである。このように慎重に医療に従事すれば、自然と単なる過失も減少できる。本来、医療への刑事罰は、故意または故意に近い重過失に限定すべきである。単なる過失行為は民事訴訟に委ねるべきである。しかし、日本の刑事当局は、前述したような歴史から、そのような明確な方針や政策を持つに至っていない。被害者の要求、偏った情報、マスコミ操作により、単なる過失犯が社会的には重過失犯に仕立て上げられる。医療従事者の側は、余程誤って「生贄」にされないよう注意する必要がある。

4. 医療倫理問題(代理懐胎など)
医療倫理問題は、以下の点から、医療過誤以上に刑事罰になじまない。分かりやすく考えるには、母親が、子宮のない娘のために無事に代理出産したことを想定されたい。
(a) インフォームド・コンセントを前提とした患者、協力者の同意がある。
(b) 一般的には被害者は存在せず、被害者からの告発もない。
(c) 道徳、モラルを維持するために、刑罰の役割を肯定しうるのかという問題が発生する。
(d) 刑罰を科するとしても、その理由はパターナリズムによる。
(e) 刑罰を科すと、幸福追求権及び自己決定権を侵害する。
上記理由からみると、代理出産は、医療倫理問題の中では最も問題が少ないことが分かる。精子・卵子提供、代理懐胎などは、既に危険性が解消しているとみられるからである。それ故、代理懐胎を始め、関係者が同意している場合には、原則として民事事件は起こされない(生殖補助医療における親の決定も、同意に拘束されるのであり、これを撤回して民事紛争をすることはやむを得ないことで、刑事罰を正当化することにならない)。これに対して、臓器移植、安楽死などについては、同意をしていても、医療過誤と同じレベルで刑事事件として問題とされる経過を辿ってきた。結論からいえば、このような場合にも、極めて刑事罰の発動は慎重でなければならない。しかし、医療倫理問題の中でも、刑事罰が肯定される場面がある。すなわち、歴史的に、欧米では、有料の斡旋行為(商業主義)には、金額によっては刑事罰を科することが正当化されてきた。すなわち、窮迫に陥っている患者を食い物にする業者は処罰されることがあった。
しかし、日本では、代理懐胎を実施する医師まで含めて刑事罰が提案されるに至る厚生科学審議会の中で、その是非についてはほとんど議論されていない。専門委員会において、代理出産を海外に斡旋する業者の意見を聴取しようとしたところ、事務局から次のように報告されたからである。
「前回、代理母出産情報センターの鷲見様をヒアリングにお招きするということでございましたが、事務局の方で連絡をとりましたところ、本人から辞退の申し出がありました。これにつきましては、鷲見様から資料が提出されておりますので、後ほどご紹介させていただきます。内容でございますが、設立した年が1991年ということでございます。『何十人ものクライアントのお世話をしてまいりましたが、結果的には本当に代理母出産ということがよいことなのか、自分でも考えるようになりました』というような、お仕事を通じていろいろな迷いといったことが書いてございます。妊娠に成功した方々の概要が載っておりまして、36例成功してございます。年齢は28~50歳までになってございます。授からず契約終了となった方が、5人載ってございます。合意書でございます。最近の傾向についてのコメントということで、代理母の希望者がかなり減ってきているようでございます。それから、特に外国の例でございますけれども、米国ニューヨーク州やミシガン州などでは廃止になったということで代理母そのものに対する疑問が持ち上がり、反対も強くなってきたようだと。そして、これから代理母というのは行われなくなるのではないかというようなこともコメントとして書いてございます。」(厚生科学審議会 先端医療技術評価部会 生殖補助医療技術に関する専門委員会 H12.1.26)
この業者のコメントは明らかに正確ではないことから、業者は、国内において代理出産が禁止されることを望んでいたと推定され、これが禁止されることにより、海外への斡旋の商売が拡大すると考えていたようである。この時には、まさか自分まで取り締まりを受ける刑事罰が提案されるとは考えていなかったはずである。しかし、専門委員会が、これを重要な参考意見として刑事罰を提案した。商業主義的行為と医療行為・ボランタリー行為も区別せずに考えるという、誠にずさんな審議経過を辿った。
先端医療技術評価部会においては、専門委員会委員でもあった加藤委員が以下の発言をした。
「私たちの前の委員会で代理母について検討したときには、代理母を推進する会みたいな人を呼んだのですね。斡旋する会ですか。その人たちが、代理母は非常に危険があるので、もう自分たちは斡旋する会をやめると言いだしたので拍子抜けになって、そういう人たちが自分たちがやめるというものを、こっちがわざわざ認めてやると言ってやる必要はないのではないか、そういう雰囲気になったと思うんですよね。ですから、もうちょっといろいろな観点から代理母をやってほしいという意見も出てきたので、再検討するということについては私は賛成です。」(厚生科学審議会 先端医療技術評価部会 H13.3.13)
しかし、部会は、充分な調査や議論を経ることなく、専門委員会案を追認した。
米国、ヨーロッパにおいて、医療としての代理出産は、原則として許容されている(注7)。禁止される国があるとか、禁止される場合があると報告されている内容は、医療目的に外れた金儲け(商業主義)に対して契約を無効にしたり、一部刑事罰があるに過ぎないことに注意してもらいたい。すなわち、海外においても、医療のために、親族の代理出産は明確に許容されているし、ボランタリーの場合も許容されている。
第一に、商業主義、または仲介業者が金儲けする行為に基づく人身売買に近い行為を禁圧し、かつ、子供の福祉に反することを制限している。米国でも、歴史的に養子法により、商業主義を排し、養子の手続を厳格にしてきた関係で、代理出産にも同様な扱いをしている。
第二に、代理母の身体の提供の問題は、血液提供、臓器移植、骨髄移植と同じ面があると考えられるのであり、本人への充分な説明と本人からの同意を前提に、親族、さらにはボランタリーの支援を受けることは許容される。
以上の2点について、卵子・精子の提供も含め、諏訪マタニティークリニックの根津医師が親族からの提供や代理母として支援を得たのは誠に自然の成り行きであったし、医療の目的に純化し、商業主義には無関係であった。また、飯塚理八慶応義塾大学名誉教授のAIDが学生(及び親族)の提供の下に実施されてきたのも同様である。
しかし、審議会の結果は、商業主義者の誘導により、結果として刑罰の属地主義の原則により、海外への斡旋業者をも罰する形をとった。業者、医師はもちろんのこと、患者まで共犯として処罰される恐れが出てきた。その結果、闇の商業主義を助長するという世界でも稀にみる悪法を作ろうとしている。結局、次のような弊害が発生する恐れがある。
① 悪徳な仲介業者の不当な利益追求により、医療目的から外れた様々な多くの代理出産が発生する恐れがある。
② 患者は過大な費用を要し、場合により、詐欺的な被害を受ける。
③ 代理母も、商業主義の下で充分な情報提供も受けず、自由意思でない場合も発生する。
④ 代理出産で生まれた子供への差別が助長される。
⑤ 現実に、現在海外で代理出産を実施し、日本で出生届をしている多くの人々に、何らかの問題が発生していないとはいえない。しかし、全く表沙汰にはできない状況となる。
⑥ 学会などにおいての実証的検討もできなくなる。
⑦ 刑事罰については、殺人、覚醒剤などが国際的に処罰される(属人主義)のに対し、代理懐胎を行う日本人は、韓国、米国では刑事罰に該当しない可能性が強い。この結果、海外で施術を受けるのに莫大な費用がかかることとなる。金持ちに極めて有利な結果となり、不公平な事態が生じる。
結論として、医療倫理問題においても、前記医療過誤問題と同様に、情報公開を伴う自治的規律に基づく運用を行うべきであり、刑事罰に依存するべきではない(注8)。
医療倫理問題は、以下の点から、医療過誤以上に刑事罰になじまない。分かりやすく考えるには、母親が、子宮のない娘のために無事に代理出産したことを想定されたい。
(a) インフォームド・コンセントを前提とした患者、協力者の同意がある。
(b) 一般的には被害者は存在せず、被害者からの告発もない。
(c) 道徳、モラルを維持するために、刑罰の役割を肯定しうるのかという問題が発生する。
(d) 刑罰を科するとしても、その理由はパターナリズムによる。
(e) 刑罰を科すと、幸福追求権及び自己決定権を侵害する。
上記理由からみると、代理出産は、医療倫理問題の中では最も問題が少ないことが分かる。精子・卵子提供、代理懐胎などは、既に危険性が解消しているとみられるからである。それ故、代理懐胎を始め、関係者が同意している場合には、原則として民事事件は起こされない(生殖補助医療における親の決定も、同意に拘束されるのであり、これを撤回して民事紛争をすることはやむを得ないことで、刑事罰を正当化することにならない)。これに対して、臓器移植、安楽死などについては、同意をしていても、医療過誤と同じレベルで刑事事件として問題とされる経過を辿ってきた。結論からいえば、このような場合にも、極めて刑事罰の発動は慎重でなければならない。しかし、医療倫理問題の中でも、刑事罰が肯定される場面がある。すなわち、歴史的に、欧米では、有料の斡旋行為(商業主義)には、金額によっては刑事罰を科することが正当化されてきた。すなわち、窮迫に陥っている患者を食い物にする業者は処罰されることがあった。
しかし、日本では、代理懐胎を実施する医師まで含めて刑事罰が提案されるに至る厚生科学審議会の中で、その是非についてはほとんど議論されていない。専門委員会において、代理出産を海外に斡旋する業者の意見を聴取しようとしたところ、事務局から次のように報告されたからである。
「前回、代理母出産情報センターの鷲見様をヒアリングにお招きするということでございましたが、事務局の方で連絡をとりましたところ、本人から辞退の申し出がありました。これにつきましては、鷲見様から資料が提出されておりますので、後ほどご紹介させていただきます。内容でございますが、設立した年が1991年ということでございます。『何十人ものクライアントのお世話をしてまいりましたが、結果的には本当に代理母出産ということがよいことなのか、自分でも考えるようになりました』というような、お仕事を通じていろいろな迷いといったことが書いてございます。妊娠に成功した方々の概要が載っておりまして、36例成功してございます。年齢は28~50歳までになってございます。授からず契約終了となった方が、5人載ってございます。合意書でございます。最近の傾向についてのコメントということで、代理母の希望者がかなり減ってきているようでございます。それから、特に外国の例でございますけれども、米国ニューヨーク州やミシガン州などでは廃止になったということで代理母そのものに対する疑問が持ち上がり、反対も強くなってきたようだと。そして、これから代理母というのは行われなくなるのではないかというようなこともコメントとして書いてございます。」(厚生科学審議会 先端医療技術評価部会 生殖補助医療技術に関する専門委員会 H12.1.26)
この業者のコメントは明らかに正確ではないことから、業者は、国内において代理出産が禁止されることを望んでいたと推定され、これが禁止されることにより、海外への斡旋の商売が拡大すると考えていたようである。この時には、まさか自分まで取り締まりを受ける刑事罰が提案されるとは考えていなかったはずである。しかし、専門委員会が、これを重要な参考意見として刑事罰を提案した。商業主義的行為と医療行為・ボランタリー行為も区別せずに考えるという、誠にずさんな審議経過を辿った。
先端医療技術評価部会においては、専門委員会委員でもあった加藤委員が以下の発言をした。
「私たちの前の委員会で代理母について検討したときには、代理母を推進する会みたいな人を呼んだのですね。斡旋する会ですか。その人たちが、代理母は非常に危険があるので、もう自分たちは斡旋する会をやめると言いだしたので拍子抜けになって、そういう人たちが自分たちがやめるというものを、こっちがわざわざ認めてやると言ってやる必要はないのではないか、そういう雰囲気になったと思うんですよね。ですから、もうちょっといろいろな観点から代理母をやってほしいという意見も出てきたので、再検討するということについては私は賛成です。」(厚生科学審議会 先端医療技術評価部会 H13.3.13)
しかし、部会は、充分な調査や議論を経ることなく、専門委員会案を追認した。
米国、ヨーロッパにおいて、医療としての代理出産は、原則として許容されている(注7)。禁止される国があるとか、禁止される場合があると報告されている内容は、医療目的に外れた金儲け(商業主義)に対して契約を無効にしたり、一部刑事罰があるに過ぎないことに注意してもらいたい。すなわち、海外においても、医療のために、親族の代理出産は明確に許容されているし、ボランタリーの場合も許容されている。
第一に、商業主義、または仲介業者が金儲けする行為に基づく人身売買に近い行為を禁圧し、かつ、子供の福祉に反することを制限している。米国でも、歴史的に養子法により、商業主義を排し、養子の手続を厳格にしてきた関係で、代理出産にも同様な扱いをしている。
第二に、代理母の身体の提供の問題は、血液提供、臓器移植、骨髄移植と同じ面があると考えられるのであり、本人への充分な説明と本人からの同意を前提に、親族、さらにはボランタリーの支援を受けることは許容される。
以上の2点について、卵子・精子の提供も含め、諏訪マタニティークリニックの根津医師が親族からの提供や代理母として支援を得たのは誠に自然の成り行きであったし、医療の目的に純化し、商業主義には無関係であった。また、飯塚理八慶応義塾大学名誉教授のAIDが学生(及び親族)の提供の下に実施されてきたのも同様である。
しかし、審議会の結果は、商業主義者の誘導により、結果として刑罰の属地主義の原則により、海外への斡旋業者をも罰する形をとった。業者、医師はもちろんのこと、患者まで共犯として処罰される恐れが出てきた。その結果、闇の商業主義を助長するという世界でも稀にみる悪法を作ろうとしている。結局、次のような弊害が発生する恐れがある。
① 悪徳な仲介業者の不当な利益追求により、医療目的から外れた様々な多くの代理出産が発生する恐れがある。
② 患者は過大な費用を要し、場合により、詐欺的な被害を受ける。
③ 代理母も、商業主義の下で充分な情報提供も受けず、自由意思でない場合も発生する。
④ 代理出産で生まれた子供への差別が助長される。
⑤ 現実に、現在海外で代理出産を実施し、日本で出生届をしている多くの人々に、何らかの問題が発生していないとはいえない。しかし、全く表沙汰にはできない状況となる。
⑥ 学会などにおいての実証的検討もできなくなる。
⑦ 刑事罰については、殺人、覚醒剤などが国際的に処罰される(属人主義)のに対し、代理懐胎を行う日本人は、韓国、米国では刑事罰に該当しない可能性が強い。この結果、海外で施術を受けるのに莫大な費用がかかることとなる。金持ちに極めて有利な結果となり、不公平な事態が生じる。
結論として、医療倫理問題においても、前記医療過誤問題と同様に、情報公開を伴う自治的規律に基づく運用を行うべきであり、刑事罰に依存するべきではない(注8)。

5. おわりに
現在の医療は、複数の医師、看護師、薬剤師、病院スタッフ、製薬会社などの多くの協力による、成り立っている。チーム医療もその例である。各人には応分の義務と責任がある。しかし、刑事罰を科するときには、「生贄」として、わずか1~2名を選び、他の人の責任も押しつけることになる。その結果、他の人の責任と原因の解明は不問に付されることとなる。これに対して、民事訴訟、自治的規律による場合には、多くの関係者のそれぞれの部署の責任、各人の責任を明らかにして、原因を解明したうえで、将来の改善案を提示することができる。このような考え方は、企業経営者の行動規律について、筆者が、取締役の分割責任として、明らかにしたものと同様である(遠藤直哉『取締役分割責任論-平成13年改正商法と株主代表訴訟運営論-』信山社 2002年)。

(注1) ・ 遠藤直哉『生殖医療に対する刑事罰に反対する-田中温委員を含む専門委員会の限界について』産婦人科の世界54巻5号(2002.5)13頁以下
(注2) ・ 安達秀雄『医療機器管理』㈱メディカル・サイエンス・インターナショナル(2001.5.30)163~168頁
(注3) ・ 安達秀雄『医療機器管理』㈱メディカル・サイエンス・インターナショナル(2001.5.30)33頁、173~179頁
(注4) ・ 安達秀雄『医療機器管理』㈱メディカル・サイエンス・インターナショナル(2001.5.30)163~179頁
(注5) ・ 遠藤直哉『矛盾だらけの一審判決』「全検証 ピンクチラシ裁判」所収、一葉社(1993.10)112頁以下
(注6) ・ 相馬孝博『米国に学ぶ医療安全の方向性』病院62巻6号(2003.6)
1999年の米国医学院(IOM;Institute of Medicine)の報告書は、米国詩人ポープの名文句「過つは人の常、許したもうは神の業(To err is human,to forgive,divine)」からとったタイトルと、米国医療事故犠牲者は交通事故死者数を上回るとの衝撃的な推計で、英語圏のみならず世界中の注目を浴びることになった。(1)第一報告書:To Err Is Human(1999.11)、(2)第二報告書:Crossing The Quality Chasm(2001.3)

(注7) ・ 小野幸二『アメリカにおける代理出産の法的規制』産婦人科の世界55巻5号(2003.5)53頁以下、米国のニューヨーク州の判例として、505 N.Y.S.2d 813, 550 N.Y.S.2d 815
(注8) ・ 遠藤直哉『生殖補助医療の法案化をめぐる日本産科婦人科学会の歴史的役割-根津医師と日産婦の和解について』産婦人科の世界55巻5号(2003.5)81頁以下

[資料]FROMガイドライン2002年2月3日 FROMは自治的規律のモデルとして作成した。
二〇〇二年二月三日

生殖補助医療の法案化をめぐる日本産科婦人科学会の歴史的役割

-根津医師と日産婦の和解について-

1 生殖補助医療部会の審議
平成15年4月10日、厚生科学審議会の生殖補助医療部会は最終の審議を終えた。この長期間の審議の結果は、生殖補助医療に関わる医師や患者にとって、予想外に後退した悪法(案)というべきものを生み出した。本来、過去の事例や経験を基にさらに調和のとれた医療の発展を支えるべきであったが、明らかに現状より生殖補助医療を抑制する面が強くなっている。日産婦は、その再生により、生殖補助医療を支えるための柔軟なガイドラインを作ることにより、このような悪法(案)の成立を阻止するか、改定させなければならない。日産婦は、会員が苦労しながら、悩める患者のために生殖補助医療を切り開いてきたことを評価し、これを支援する役割を担うべきである。飯塚理八元会長らの輝かしい業績を後退させてはならない。筆者は根津訴訟を担当し、FROM(1)議長として活動し、部会に対し意見を提供してきたが、部会案の問題点は下記のとおりである。
(1)  出自を知る権利について
部会案では、15才以上の者は、提供者の氏名、住所も含め情報の開示請求をできることとした。出自を知る権利は、子が自分のアイデンティティーを確立するために、絶対的に必要なものか、この重要な議論が欠けている。親が、不幸にして子を手放さざるを得ない状況(戦争、貧困、病死、不倫、若年出産等)は、繰り返し現れてきた。しかし、子は出自を知り得なくても、たくましく生き抜いてきたのである。むしろ、養親により温かく養育されたか、差別や虐待に苦しんだかが、子にとって重要である。子が差別や虐待にあう時、出自を求める場合が多い。
これに対して、生殖医療により生まれた子は、子を渇望した親により育てられるが故に、差別や虐待にあうことはあり得ず、出自を知る権利の必要性は低下する。
しかし、出自を知る方法を選択し得る余地を残すことは妥当である。提供者は、親が子に出自を告知し、子が提供者に面会する等について事前に同意する場合には、これを認める方法もある。これにより親は、提供を受けるときに、情報開示をする提供者か、これを認めない提供者か、のどちらかを選択し得ることとなる。
(2) 兄弟・姉妹からの提供について
部会案では、匿名性の保持(精子・卵子・胚を提供する場合には匿名とする)を唱えている。しかし、兄弟・姉妹からの提供を認めるべきである。提供において、匿名性の保持が絶対的であれば、出自を知る権利も絶対的に否定されねばならないこととなる。すなわち、出自を知る権利も、匿名性の保持も絶対的条件ではなく、相対的条件に過ぎないことを理解すべきである。第三者からの提供と親族からの提供においては、利用者にとってどちらが提供を受けられ易いか、利用者がどちらがより好ましいと選択するかの問題である。
子にとっては、身近の親族の方が良いと感ずるか、親族より見も知らぬ第三者の方が良いと感ずるかという問題である。常識的には、第三者の場合には、親族よりはやや不安感があるであろう。慶応大においては、学生の提供を受けてきたが、親族からの提供もより容易な道、妥当なものとして実施されてきた。
(3) 胚の提供について
精子・卵子の提供を原則として肯定すれば、胚の提供の必要性は極めて低下する。これに対して、部会案は前者も後者もすべて制限する結論となった。
(4) 代理懐胎について
部会案では、代理懐胎は禁止され、「代理懐胎のための施術と施術の斡旋」を刑事罰とした。しかし、本年3月6日フジテレビ「とくダネ!」において、本邦で初めて代理出産の患者の姿が放映された。また、FROM総会では、日本の依頼者により、米国のユダヤ教の代理母が、人類愛に貢献する宗教的精神に基づき出産した事例が報告された。いずれも、代理母の自信に満ちたメッセージが伝わってきている。
代理懐胎については、条件付賛成とすべきである。京都大学名誉教授である星野先生も強くこれを主張されている。母親が、子宮のない娘のために出産する例、兄弟同士で代理出産をする例、あるいは米国のように宗教的人類愛に基づいて代理出産を行う例などである。すなわち、子宮がない女性をボランティア精神でこれを助けるための行為である。このような代理懐胎に対して刑事罰を課するとする法案は、近代法の原則に合致するものではなく、憲法違反にまでなるであろう(2)。
[1] 刑事罰とは、行為者の身体の自由、生命を奪うものであり、民事法や行政法よりも適正手続(デュープロセス)が厳格に遵守されなければならない。刑事法は、様々な角度から十分な議論をされた上に、その内容が適正・合理的でなければならない。
[2] 刑事罰における被害法益は何かが問題となる。被害者は子供でもなく、代理母でもなく、どこに被害者がいるのであろうか。単に、親の決定の問題等があるだけである。このような問題というのは、民事事件において解決できるものであり、刑事法における被害者とは言わない。公序良俗または社会的法益といわれるものは、その法益が具体的には何かを突き詰めて考えなければならない。
[3] 公序良俗に対する犯罪とは、例えば姦通罪である。姦通罪は、一夫一婦制度を維持するための刑罰であった。被害者は夫であり、加害者は妻(と間男)であった。そこでは、夫のみが被害者として保護されるという差別があった。そこで、近代においては、一夫一婦制度の維持は民事法や戸籍法によって守られるが、刑事罰を課さなくなった。また、道徳・倫理には刑事罰を課さないという原則が確立したからである。売春の場合には、売春する男女を罰する法制度は少なくなり、罰しないという法制度が優勢となった。売春婦が、貧困からの被害者であるとすれば、被害者を罰することはおかしいことになり、同様に、真の加害者であるピンハネ営業行為をしている者に刑事罰を課するという制度が主流となっている。
[4] このような分析を通じて見ると、代理母に関しては、不当な利益をあげている者のみを処罰することが適切な法政策となろう。
(5) 手続の問題点
厚生労働省の専門委員会及び生殖補助医療部会の審議がなぜこのような消極的なものになってしまったかは、以下の点に問題がある。
[1] 患者の声を十分に聞くことがなかった手続きに問題がある。
[2] 生殖補助医療に深く関わってきた鈴木元会長、飯塚元会長、根津医師などの事例や意見を十分に検討することがなかった。
[3] セントマザー産婦人科医院の田中温医師(専門家委員会委員)は、根津医師の紹介により非配偶者間体外受精を行っていたにもかかわらず、そのような事実を公表せず、部会において十分な議論を掘り起こすことは出来なかった。
[4] パブリック・コメントを求めていながら、この内容を検討したり、議論したり、聴取することもなかった。
2 昭和58年会告の意味
日本産科婦人科学会の昭和58年会告のその主たる目的は、配偶者間における体外受精を公式にスタートさせるものであった。この会告は必ずしもその他を禁止する目的を持っていたわけではない。それ故、その後、非配偶者間の体外受精及び代理母が禁止されるものと考えられてきたこと自体に問題があった。
(1) 飯塚元会長は、58年会告を発表したとき、プレスコメントにおいて、数年後にはこれを見直すという説明をしている。それは、当時、体外受精について極めて批判的であったマスコミに対し、暫定的に作成した会告であったからである。
(2)
その後、飯塚先生は、日本不妊学会より、日産婦に対して58年会告を検討するよう申し入れた。また、平成5年以降、飯塚先生自らが再三にわたり改正を申し入れている(1)。
しかるに、日産婦は全くそのような検討を始めることがなかった。日産婦の多数は、生殖補助医療に関与していない医師である。しかしながら、生殖補助医療に従事している医師を中心とすれば、より患者のニーズと社会の意識とのバランスのとれた会告を作成することができたはずであった。

(3) 慶應義塾大学を始め、その他でもAIDを長期にわたり継続していたのであり、体外受精が進歩したときに、非配偶者間体外受精を行わないなどということはあり得なかった。
(4) 日産婦は、なぜ58年会告の見直しに着手しなかったのであろうか。日産婦の執行部の責任が極めて重大であったと共に、日産婦を構成する多数の会員にもその責任があったことは明らかである(2)。日本における伝統的な血統主義、生殖補助医療に対して批判的なマスコミの中で、日産婦と会員自体が萎縮していたというべきであろう。
(5) そのような中で、生殖補助医療は、慶應義塾大学だけではなく、スズキ病院、クリニック飯塚、セントマザー産婦人科医院、加藤レディスクリニック、広島HARTクリニック、諏訪マタニティークリニックなど、主として大病院以外においてめざましい発展を遂げるに至った。このような状況の中で、日産婦は、会告自体の在り方について、本来次のように検討すべきであった。
[1] 方法論
学術集会、委員会、評議委員会、総会等、あらゆる場所において、多数回にわたり、徹底した議論を行うべきであった。残念ながら、このような手続きがとられていない。単に、少人数の倫理委員会に任せてしまうというやり方では、到底このような大きな問題を解決することは出来なかったのである。
[2] 内容
生殖補助医療の規制は、許容か禁止かのオール・オア・ナッシングの規制ではなし得ないものであり、事例研究を通じ、その中から緩やかな、様々な多様な方法を検討すべきであった。
[3] 会告の拘束力
会告を制定するとしても、やはりオール・オア・ナッシングでは無理である。会告自体の拘束力が問われなければならない。鈴木教授、飯塚教授、セントマザーの田中医師など、AIDを実施してきた先生方が、非配偶者間体外受精を行わなかったということはあり得ない。慈恵医大では、海外で卵子・精子の提供を受ける患者に協力し、出産を実施してきた。学会自体もこのような先生方を調査し、除名などしたことはない。日産婦自体が患者の利益を侵害する会告の拘束力を強いものとは考えていなかった。この点では、日産婦の消極的な黙認路線の運用は正しかったといえる。
しかし、生殖補助医療の現状を追認する形で広く認めるガイドラインを作るべきであったが、その積極策を打てなかった。
(6) このような状況で、根津医師が非配偶者間体外受精を公表し、公然と日産婦の方針を批判するに至り(3)、日産婦はこれを除名するに至った。なぜ除名するに至ったのであろうか。58年会告の拘束力が弱いものである限り、これを除名し得ないはずである。しかし、公然と認めるか、認めないかに迫られ、黙認路線では処理し得なくなった。そこで、公然と批判されたため、発展し続ける生殖補助医療を広く認める積極策を打てないまま、本来あるべき適正手続を経ず、かつ十分な議論を行うという道をとらず、除名するに至ったのである。
3 根津医師による訴訟と和解
このような経過の中で、根津医師は、日産婦に対し、除名無効の訴訟を提起した(1)。しかし、日産婦や医師が患者のために奉仕するという本来のあるべき道に戻るために、双方の歩み寄りの末、和解が成立した。
(1) 和解の条項
[1] 原告は、被告学会の原告に対する除名処分に対し、何らの異議を述べない。
[2] 被告学会は、本和解成立時から1年間の原告の行動に照らし、再入会を拒否する正当な事由がない場合には、原告の再入会を認める。
[3] 原告は、被告学会に再入会した場合には、原告学会の会告等、被告学会のきまりを遵守することを誓約する。
[4] 原告は、その余の請求を放棄する。
[5] 原告と被告学会との間には、本和解条項に定めるものの他、何らの債権債務がないことを相互に確認する。
[6] 訴訟費用は、各自の負担とする。
(2) 日産婦の見解
これに対し、日産婦は以下のとおり見解を発表した。
「本日第17回裁判期日において学会の提案したとおりの内容で和解が成立した。
原告の請求は、
[1] 除名処分を無効とし、原告が被告の会員であることを確認する。
[2] 全国版である読売新聞、朝日新聞、毎日新聞並びに学会の機関誌に2回謝罪広告をなせ。との2点である。
しかし、和解条項1項で、「原告は、除名処分に対し、何らの異議を述べない。」4項で、「原告は、その余の請求を放棄する。」となっているとおり、原告の請求はいずれも認められなかった。
しかしながら、学会は①根津医師も同じ産婦人科医であること②除名処分から約5年経過していること③再入会後は、会告を遵守することを誓約していること④1年間の観察期間があること等を考慮し、高い見地から、寛容の精神をもって今一度根津医師に会員として復帰の機会を与えることにしたものである。」
(3) 根津医師弁護団の見解
これに対して、当方根津医師の弁護団も、以下のとおり見解を公表した。
「平成15年2月26日、東京地方裁判所で和解が成立しました。和解は、双方の互譲により成立するものであり、円満な解決の形をとるため、当日、当方は記者会見を行ないませんでした。
これに対して、日産婦は厚生労働省で記者会見をし、自らの主張が認められたとの意見を公表しました。また、新聞報道等で、和解の趣旨について理解不足も見受けられました。それ故、本件は和解により円満解決したことを前提としつつ、当方も、和解についての当方の立場を公表することとします。
(1) 本件は、根津医師の行った非配偶者間体外受精が、昭和58年会告に違反するとの理由で除名がなされたものであるが、非配偶者間体外受精自体が社会的に認知された結果、和解となったものである。それ故、根津医師の先駆的役割が認められたものである。
通常の和解のとおり、双方で歩み寄った和解内容となったので、今後、根津医師と日産婦の新しい関係が築かれるものと思われる。また、今回の訴訟は、会員にとっても患者にとっても、生殖医療を考える点で、大いに意義があったものと考える。裁判所が忍耐強い和解の労をとられたこと、及び日産婦の理事の方々が真摯な審議をされたことに感謝申し上げる。
(2) 日産婦は、根津医師の再入会を認めたものであり、結論としては、除名を撤回したと同じ内容となった。当方は、高裁、最高裁までの長期間をかけて復帰するより、早期復帰を選択し、実質的勝訴を獲得した。「除名につき異議を述べない」との和解の文言は、当方が日産婦の立場に配慮したものである。
(3) 「学会の決まりを遵守する」とは、組織に加入していれば、会の規則(例えば会費納入義務)に従うという一般論を明記したに過ぎない。訴訟にて勝訴し、復帰しても同じ結果となる。
(イ) 「学会の決まり」の内、会告は、組織上のルールとは異なり、患者の利益を直接に拘束するものである。ガイドラインとしての意味はあるが、強い拘束力を認められるかは疑問である。現に、これに抵触した例は多々あるものの、直ちに除名とされてきたわけではない。除名されたのは、根津医師ただ一人である。
今後、会告は緩やかなガイドラインであり、患者の権利を侵害できないとの趣旨を明確にしていく予定である。
(ロ) 会告の内容は、会員の多くの意見を反映されたものではないので、今後も議論を喚起し、改定を求める予定である。
(4)
本件訴訟においては、会告の成立に必要な議論が充分にはなされていなかったこと、総会において報告事項としてのみ上程されたことが証明され、総会決議への違反をもって除名することは困難であることが明らかとなった。これが、和解が成立するに至った大きな理由である。
それ故、今後は、会告は患者の立場に立って様々な角度から検討されない限り、会員への拘束力を強化することはできないと思料する。

(5) 日産婦は、「1年後に再入会を拒否する正当な事由がない場合には、根津医師の再入会を認める」こととなった。「正当な事由」とは何かが問題となる。
(イ) 本件和解の前に、根津医師は代理出産を公表し、「代理出産」(株式会社小学館出版)を出版している。にもかかわらず、日産婦が和解に応じたことは、代理出産の施術の公表が和解に障害とならなかったといえる。それ故、原則として、生殖補助医療等の患者のための施術は入会拒否の「正当な事由」に当たらないと考える。
(ロ) 再入会を拒否する「正当な事由」をめぐり、1年後に日産婦と話し合いをすることになる。仮に、双方の意見が異なるときには、最終的には訴訟により決着をつけざるを得なくなる。再び訴訟とならないために、多くの会員を含めて、協議により解決するものと予想される。そのようなプロセスの中で、日産婦及び全ての会員と共に、医師の社会的役割を議論していくことが可能となり、そのような手続きが望ましいと思料する。」
4 結論
以上により、日産婦の新しい柔軟な運営が大いに期待できる。日産婦は、生殖補助医療の現状において、適切な面を追認していく積極策をとることも期待される。また、多くの会員が、患者の権利を抑圧し、医師の治療を不当に制限する法律に反対することとなろう。
不妊患者は社会の少数者であり、人々やマスコミの意識は極めて古い血統主義にとらわれている。このような中で、日産婦は患者を救済する道を探りつつ、会員は長期間かけて、徐々にこれを拡大する努力をすることとなる。外国で高額な施術を受けられない者は、国内での救済を求め続けるであろう。これを救う医師は、名声を得なくても、患者に感謝されつつ信頼関係を強めるであろう。そのようなとき、被害者と呼ばれる者は誰もおらず、また、現実に制裁に動く者もいないであろう。いかなる法律も、人間の強い愛の絆の中では機能しないであろう。

■文献・注
(1) 妊娠・出産をめぐる自己決定権を支える会、FROMホームページhttp://www.japanfrom.org
(2) 遠藤直哉「生殖医療に対する刑事罰に反対する」『産婦人科の世界』54巻5号13頁、医学の世界社、2002年
(3) 飯塚理八元会長は、平成14年8月19日、日産婦の常務理事会において下記メモを提出され、日産婦が積極的対応をしていないことを批判された。
「日産婦との関わり」
1 昭和58年日産婦「体外受精・胚移植に関する見解」その作製にあたった一員である。
2 平成2年、日本不妊学会理事長として「顕微授精」推進方を日産婦に申し入れ、時の高見澤会長がこれを応諾された。
3 平成4~5年、日本不妊学会理事長として代理母について検討方をお願いした。
4 平成5年、時の谷澤日産婦会長宛に「会告における見解についての見直しについて」を提出したが正式な応答は頂いていない。
5 平成6年、「XY精子選別法には、未だ安全性は確立されていないので、当分の間パーコールを使用しないこと」と会告で布告された。その前に武田理事をお呼びして日本不妊学会と合同でパーコールの安全性を説明したはずなのに突然の決定となった。
6 平成7年毎日新聞紙上に7月28日号に夫以外の精子での体外受精の出産例が掲載された。水口日産婦会長のコメントも掲載されている。この件について、日産婦倫理委員会、常務理事会は如何対応されたか? また、実施者に対して如何されたか?
7 平成10年、根津君、学会会告違反で除名となる。時の藤本倫理委員長宛(平成10年8月5日)に谷澤会長宛の意見書、日本不妊学会での代理母の検討、パーコール使用中止などの経緯を申し上げ、お返事を頂いた。
8 平成13年HIV除去精液で授精(鳥取大学)の出産例、他に新潟大学でも同様例の出産。本法は慶應義塾大学病院で開発したパーコール洗浄法を基としているが、学会での対応は如何されたか?
9 荒木日産婦会長宛に「パーコールの中止の見直し」を要請し、お返事を頂いた。
10 平成13年5月、厚生省審議会のメンバーだった方々および根津君と朝日新聞の座談会に出席し、私見を述べた。
11 FROM「妊娠・出産をめぐる自己決定権を支える会」が立ち上げられた。第1回総会は平成13年10月に開催された。現在まで3回開催され、本年10月に第4回を予定している。
12 60歳女性の出産-米国で卵子の提供を受け(代理母出産情報センターの斡旋)、B大学病院で出産したが鷲見代表によると以前から同様の妊婦の管理をお願いしている(既に10数例となる)、この際、時の荒木日産婦会長のコメントも掲載されている(日本経済新聞:平成13年8月7日)。この事例に対し、常務理事会は如何お考えになられるか?
13 平成14年、死亡した夫の保存精子で妊娠した未亡人の事例があり、これに対しての常務理事会の見解は、またsingle mother希望例については如何お考えか?
このように次々と起こる事例に対して会員は戸惑うことが多いが、それに対する指針を仰ぐのに何処にお聞きすればよいのか、お示し頂ければ幸甚です(参照・飯塚理八「21世紀への提言」『産婦人科の世界』54巻1号117頁、医学の世界社、2002年)
(4) 日産婦において積極的提言をする者は極めて少ないが、その例外の一人として柳田洋一郎先生が存在する。同氏は、平成15年度日産婦代議員に当選されたので、日産婦への批判者も多いはずである。柳田洋一郎「生殖医療の議論には「現実の直視」が必要」『産婦人科の世界』54巻1号55頁、医学の世界社、2002年
(5) 根津八紘「日本の生殖医療の現実とあるべき姿」『産婦人科の世界』54巻1号37頁、医学の世界社、2002年
(6) 訴訟における重要な争点について、弘中絵里「日本産科婦人科学会の会告とは何か」『産婦人科の世界』54巻9号61頁、2002年、医学の世界社。

学術会議報告書に対する批判

日本学術会議 会長 金澤 一郎 殿
生殖補助医療の在り方検討委員会 委員長
鴨下重彦 殿

〒105-0003 東京都港区西新橋1-6-13柏屋ビル8階
電 話03-3500-5330/FAX03-3500-5331
フェアネス法律事務所
扶助生殖医療を推進する患者会「二輪草」
法学博士・桐蔭横浜大学法科大学院教授
世話人弁護士 遠  藤  直  哉
(協力:医師 大谷徹郎、医師 根津八紘)

 

第1 結論
1 患者不在の報告書である。患者(障害者、弱者)を抑圧し、社会の差別意識を助長するものである。
2 子の福祉を全く保護しないものである。
3 根津医師の代理出産の功績を否定し、会告の禁止では足りないとし、さらに法律で禁止し、患者の人権を侵害し、世論に背くもの。
4 特に、母親の代理出産を否定する理由には全く根拠がない。
5 日産婦会の会告による禁止の状態をやめ、法律で公認する役割を期待されていたが、全く果たしていない。
6 本報告書は、代理出産ではなく養子をすすめるが、本報告書で自白するとおり、「養子」では泣く泣く子を渡す母親及び兄弟から子を引離す点で、「代理出産」(子を渡す意思と義務が明白である類型)より弊害のあることが明らかとなった。

第2 報告書批判
P4L6「議論の視点は、人権、特に子の権利、親の権利に置く」
意見書は「特に子の権利及び親の権利」をほとんど検討していない。
P4L13「我が国では代理懐胎について正確な実態がほとんど明らかにされていない」
根津医師の公表、向井夫婦の発表、FROMにおける報告、小野幸二教授の論文など多くの資料で明らかにされている。
P5L2「代理懐胎とは、子供を養育する意思のある女性が、他の女性に対し、生殖医療の技術を用いて妊娠すること」
上記定義には、がんによる子宮の摘出、交通事故などによる子宮の摘出、ロキタンスキー症候群など、その原因が記載されておらず、定義として全く不完全である。患者の代理出産の必要性が全く記載されていない。患者不在の報告書となっている。
P6L22「子の法的地位が明確でないため、社会的環境、生育環境なども不安定になっている。」
子の法的地位を守り安定させるためには、依頼する夫婦の権利と義務によりこの地位を守ることが必要であり、米国の統一親子法はその目的を達成している。日本のように代理出産を禁止するならば子の法的地位は益々明確でなくなり不安定となる。すなわち、代理母の子であるとすることは、代理契約により養育する意思と義務のない者の子を認めることになる。日本においては判例及び厚生科学審議会報告書、本報告書によってこの地位を益々不明確・不安定にしていることに気が付かなければならない。
P9L20「背景の異なる研究を比較して、代理懐胎の懐胎者の妊娠中の高血圧、異常性器出血の頻度が通常の体外受精におけるよりも低いとする報告(※0)がある」
代理母は、健康体であるので、通常の体外受精の不妊症患者よりリスクが低いことを指している。また、代理懐胎で生まれてくる子について、通常の体外受精よりリスクが少ないとの指摘する論文もある。(Michael Ludwing, Klaus Diedrich「Follow-up of children born after assisted reproductive technoligies」RBM Online-Vol 5. No 3.317-322)
P9L23「我が国においては、代理懐胎が産科婦人科学会の会告を無視した形で一部の医師により行われていることは確認されているが、医療的データを取ることなく独自に行われていることもあり、ほとんど報告はなされていない。」
根津医師に対する名誉毀損である。削除するよう求める。
根津医師は、減胎手術、非配偶者間体外受精に始まり、代理出産についても積極的に公表し、医学的ペーパーを提供してきた。代理出産を禁止する産科婦人科学会の会告自体が問題であり、これを公認するような文章を報告書に書くべきではない。この文章自体が日産婦会の幹部によって書かれていることは明らかであり、根津医師を除名し訴訟の当事者となった団体幹部による文章作成をさせるべきでない。日産婦会の幹部は代理出産を実施したこともなく、学識、経験はない人間である。これに対し、根津医師は、亡飯塚先生、鈴木先生を始め、加藤医師・田中医師らも公表せずに実施していた中において、初めて多くの実施を公表してきたのであり、上記「ほとんど報告されていない」などという批判は当たらない。
P9L27「『卵子提供による体外受精』に関する研究(※1)によると、妊娠中の異常出血、妊娠高血圧症候群、子宮内胎児発育遅延、早産が、通常の妊娠に比べて高い頻度でみられるとされている」
卵子提供を受ける者は、不妊症であること、高齢となっていることなどから、通常の妊娠に比べ、不妊の原因(内膜症・骨盤内癒着など)によるリスクを伴うことが明らかとされている。しかし、代理母は不妊症患者ではない。
P9L30「この原因として、懐胎者の性機能の不全や胎児が懐胎者と遺伝的共通因子を全くもたない不適合性が考えられる」
全くの誤りである。不適合性ではなく、上記のとおり卵子提供を受ける者の不妊原因が問題である。
P9L32「後者の要因は代理懐胎においても同様の条件と考えられ」
全くの誤りである。「同様の条件」ではない。なぜなら、不適合性は問題ではなく、代理母は不妊症ではないから、不妊症の欠陥をもたず、リスクを負わないのである。
P9L33「このような妊娠中の異常が代理懐胎においても通常の妊娠より高い比率で発症し得るとも考えられる」
上記の誤った推論による誤った結論となっている。何らの引用文献はない。代理母においては、一般の体外受精よりリスクは少ないとの文献報告のみである。
P9L35「代理懐胎において比較的高齢の女性が懐胎する場合には、高齢妊娠の要因により妊娠中の異常がさらに増加することが懸念される(※2)」
全くの誤りである。※2は、代理懐胎の文献ではない。卵子提供の文献及び一般の高齢出産の文献である。日産婦会は虚偽と偽装の常習犯である。日産婦会のホームページに出ている「着床前診断の平成18年見解」は、完全なる偽装表示である。
P10L4「母体から子への物質の移行にともない、出生後の子の健康状態に影響が及ぶことが示唆(※3)されており、代理懐胎でも、胎児は代理者の健康状態の影響を直接うけることとなる」
母体について健康か異常かが子に直接影響することは、あり得るとした場合、代理母が健康であれば、子も健康となることは通常分娩と変わりはない。※3は、動物実験の論文であり、かつ動物の代理出産の論文ではないものを、なぜ引用するのかばかげている。
P11L20「相対的適用となる女性か否かの判断は、決して容易ではない・・・・・仮に適用の範囲を定めたとしても、ひとたび代理懐胎を手段として提示すれば、将来医学的適用以外の例も含めてその範囲が拡大されていく可能性が否定できない」
がんを理由を子宮を摘出した患者やロキタンスキー症候群など、絶対的適用だけを考えれば十分であり、相対的適用は将来の課題とするだけでよい。目の前の課題の答えを出せない者は、未来の課題を論じる資格はない。
P13L27「仮に代理懐胎契約を理念として認めた場合、かかる契約の締結について強制や誘導が懸念されることであり、このことが「公共の福祉」に反する結果を招く可能性があることである。これは、特に、姉妹、親子の関係において代理懐胎が行われるときに生じ得る」
臓器移植、輸血、骨髄バンク、解剖の献体など、すべて同じ問題であり、日本は今や自己決定権に任せる成熟した社会となりつつある。
P14L4「懐胎者という第三者の協力を得て行われる代理懐胎が、同じくドナーという第三者の協力を得て行われる生体臓器移植と決定的に相違するのはこの点である」
意味不明である。代理出産は生体臓器移植よりは、容易な課題であることに対する反論にはなっていない。
P14L9「特に代理懐胎を認めない場合は、それにもかかわらず施行されたときや、日本人が海外で代理懐胎を受け帰国したときの出生した子の福祉について、特段の施策が必要となろう」
子の福祉が最も重要であり、上記のとおり言うが、本報告書では何らの提言がされていない。依頼夫婦の子であることを断定すべきである。
P15L19「いわば役目を終えた懐胎者のその後にも注意を払わなければならない」
ボランティアの代理母の場合には、依頼夫婦及び社会から感謝され、そして謝礼を受け取り、満足を得る。向井亜紀さんの著書をよく読むべきである。母親の場合には、その後、孫と楽しく過ごす老後が待っている。何の注意を払うのか意味不明である。
P15L22「母親から生まれてきた自分の同胞と思っていた子が出生と同時に自分から引き離されることとなり」
代理母が母親の場合には、引き離されることはない。孫と楽しく過ごす大きな喜びが待っている(ちなみにこの点は、養子の方が、より深刻といえる)。
P16L13「懐胎者にとって最良と考えられる医療行為と依頼者の希望とが必ずしも一致しないことや、依頼者が希望する医療行為を懐胎者が承諾しないことが起こり得る(注2)」
代理母の健康状態の配慮と、治療行為が優先することは当然であり、医師の方針や倫理は明確である。
P16L24「代理懐胎で生まれる子になんらかの障害がある場合、もしもその障害が妊娠中に診断されたならば、依頼者がその診断を受容しうるかが懸念される」
依頼者が、障害について、自己決定権に基づきどのように決断するかが決まるのであり、矛盾は生じない。
P16L29「出生後に子の障害が判明した場合には、その子の引取りを依頼者が拒否するおそれもあり」
代理母が母親の場合には、同じ家族であるので、引取り拒否自体が起こらない(ちなみに、依頼者には引取り義務があり、一般の出産と同じである)。
P18L7「出生後は子をその者から引き離すものであり」
代理母が母親の場合には、孫であるので引き離されるわけではない(ちなみに、養子の場合には、より深刻である)。
P18L25「学会が自律的規範で対応してきたことの意義は大きい。現在問題とすべきは、上記の『会告』だけで十分か否かである」
現在も学会の会告で禁止されている状態である。法律で代理懐胎を禁止するならば、これを強化することとなる。現在まで根津医師だけが行っているのであり、禁止を続けるならば何ら法律を作る必要はない。法律を作るとすれば、根津医師に禁止の効果を持たせるという意味しかなくなっている。すなわち、この報告書は根津医師の歴史的な実績を否定し、患者が求めている会告の廃止どころか、患者の意向を全くつぶして、より権力的な弾圧を加えるものである。
P18L36「行政指針は法的強制力を有しないばかりでなく、重要な医療倫理問題をはらむ決定を行政庁に委ねてしまうこととなり適切ではない。代理懐胎を何らかの意味で規制する必要があるとするのなら、法律によることが必要である」
行政的指針は、会告よりも少しは法的拘束力を有するのであり、多用されているのであり、なぜ法律まで必要か不明な論理である。法律家としてソフトローの知識が全く不足している。
P20L24「この場合には、被害者である懐胎者は処罰の対象から除外するが、その『営利の目的』を認識していながら依頼した依頼者は処罰の対象となる」
営利の目的を有する者は、斡旋業者であり、売買防止法のように、斡旋業者のみを処罰すれば足りる。懐胎者、依頼者、医師は処罰の対象外とすべきである。搾取をし、営利を受けるのは斡旋業者のみであり、被害者は懐胎者、依頼者、医師であるからである。
P21L19「保険医の登録を取消すことができる・・・・・・医師の保険医の指定を取消すことが可能となる」
保険医の登録の取消しとは、保険診療に関する不正行為などに関係することに限定される。保険診療に関係のない代理出産に関し、保険医の取消しをすることは憲法違反となり、不可能といえる。
P21L23「法律が代理懐胎は許されないと明示するならば、処罰がなくとも、あえてそれを実行する医師が出てくるとは考えにくい」
日産婦会の禁止の会告により、あえてそれを実行する医師は全くいない。実行しているのは根津医師だけである。それ故、法律をつくる必要がないということになる。
P22L9「懐胎者高齢者でないことなどその健康への影響を抑えること」
代理母は母親であるのがベストの選択であるので、このような結論は不必要である。健康な母親は、高齢であっても卵子提供を受ける不妊症患者より、リスクは少ない。
P22L16「代理懐胎の一部容認は全面解禁へとつながる『蟻の一穴』、『ダムの決壊』となることも危惧される」
ホモセクシュアルやレズビアン、同姓婚などは、蔓延すれば人類は子供を産めなくなり、人類が破滅する。しかし、一部の人間に留まっており、『滑り坂』に落ちてはいない。代理出産はこれを必要とするごくごく一部の患者のためのみであり、『ダムの決壊』などということは全く考えられない。
P23L4「日本はもちろん国外においても、代理懐胎の是非を批判するに足る十分な科学的データは存在していない」
代理出産の先進国アメリカの資料は読み切れないほど膨大にある。研究者がこのような資料も調査せずに報告書をまとめたものは全く価値はない。
P23L8「社会に対してどのような結果をもたらすかを詳細研究し、その結果をまって、代理懐胎の方向についての判断を下すことが必要である。」
庶民(世論及び読売新聞)はすでに、代理懐胎につき、賛成の意向を示している。学術会議は詳細に調査研究する予定であったものをせずに、先送りするだけであり、そうであるならば、現在の世論の決定に従うべきである。ましてや根津医師の歴史的功績が社会に認められてきた現状において、学術会議が根津医師の行為を禁止する結論を出すならば、それはまさに研究者の良心に反するばかりか、研究者の立場を利用した権力的統制でしかない。亡飯塚理八教授が、生殖医療に対する国家的統制に対し、強い反対の意思表示をしていた。その弟子たる吉村教授が、開業医の実績を認めたくないために、このような結論を強制し、そして法律学者がこれを追認するということは、繰り返し繰り返し同じ過ちを行い、全くの税金の無駄遣いでしかない。

第3 代理出産先進国米国-憲法上の権利
辻村みよ子(東北大教授)委員は、憲法学者として、一人孤軍奮闘され、貴重な意見を出されたが、報告書には全く反映されていない。本報告書のまとめかたには、重大な欠陥がある。以下のとおり、憲法上の課題がほとんど検討されていないことである。
米国では、生む権利・生まない権利が下記のとおり憲法上の基本権として判例で保護されてきた。最近でも2003年に、ホモセクシュアル禁止のソドミー法を違憲とした。現実には、ほとんど発動されていない法律であるが、法律の存在だけで社会の差別意識が助長されるという機能があるため、完全に法律を死滅させたものである。当然のことながら、商業的代理出産以外の代理出産は、憲法上の権利として認められている。裁判所は、カルバート事件、ブザンカ事件などにおいて、子の福祉と利益を最も重視して保護する判決を出してきた。そして、これを受け継いで統一親子法を作成した。米国の積極司法に対して、日本は消極司法、放置主義であり、司法が逃げるから、法律が必要となり、患者、障害者、弱者の保護に法律が求められる。そこで逆に、障害者差別を助長する法律ならば当然に阻止されねばならない。
【米国の判例】
(1)1942年 Skinner v. Oklahoma
連邦最高裁は、精神障害者に対する断種法を違憲とした。
(2)1965年 Griswold v. Connecticut
連邦最高裁は、避妊具の使用と販売を禁止する州法を違憲とした。夫婦の寝室の聖域な領域を唱えて、夫婦のプライバシーの権利を打ち出した。
(3)1967年 Loving v. Virginia
連邦最高裁は、白人と黒人の結婚を禁止する法律を違憲とした。
(4)1972年 Eisenstadt v. Baird
連邦最高裁は、未婚の者に避妊具を交付することを禁止し、医師が結婚した者にのみに交付することを許しているマサチューセッツ法を違憲とした。すなわち、プライバシーの権利に意味があるとすれば、それは既婚であろうと、未婚であろうと問わず、子を生むか生まないかの決定のように、人に重大な影響を及ぼす事柄について、不当な政府の介入を受けないと言う個人の権利であるとした。
(5)1973年 Roe v. Wade
連邦最高裁は、女性は、胎児が子宮外で生きることのできる前であれば、中絶する権利を有するので、政府はこれを禁止することはできず、禁止する場合には厳格審査を要するとした。全面的に妊娠中絶を禁止した州法を違憲とした。その後、紆余曲折があったが、基本的な考え方は維持されている。
(6)2003年 Lawrence v. Texas
連邦最高裁は、ホモ・セクシャルの性行為を禁止する州法「ソドミー法」を違憲とした。
(2003年、マサチューセッツ州連邦裁は、同姓婚届出を拒否することは州憲法に違反するとした)。
以上のとおり、米国では、「結婚する権利、生む権利、生まない権利」は、平等保護条項、デュープロセス条項、合衆国憲法第14条修正などによって、確立した権利、つまり「基本権」(a fundamental right)としてしている。「厳格審査」を要するとしている。精神的自由の制約に必要な「厳格審査」を要求している。自由を制限する政府や社会的権力の側に明確な強い証明責任が科せられる。商業主義以外の代理出産の規制は、憲法違反として許されないとされている。