遠藤直哉ホームページ
遠藤直哉プロフィールフェアネス法律事務所最近の訴訟活動・報告著書紹介


出版シンポ報告集 (1)

(1)永井和之
(中央大学教授)
(4)弥永真生
(筑波大学教授)
(2)久保利英明
(第二東京弁護士会前会長)
(5)谷垣禎一
(現国家公安委員長)
(3)伊藤眞
(東京大学教授)
(6)仙谷由人
(衆議院議員・弁護士)

(1) 永井和之(中央大学教授)
遠藤先生の論文は非常に多岐に渡って、伊藤先生は視野が非常に広いというようにお褒めの言葉を遠藤先生に与えられたようですけど、私の方は従来の法律概念に凝り固まっておりまして頭が全然回転していなかった、そういう中で遠藤先生とこの論文については何回となく色々問題点を指摘させていただいて、遠藤先生の不興も買っていたのではないかと思っておりますが。今遠藤先生おっしゃったように、遠藤先生の問題の視野、「取締役の責任の分割」というより、もっと言えば「損害の分割」、過失相殺とかそういうのも含んで損害を分割する、というような「損害分割」の中で特に、それについて責任を負う者同士の中での責任の分割というものがあるだろうと。しかもその中で私が特に述べることができるのは「取締役の責任分割」であって、遠藤先生が冒頭で自ら問題提起されたような多岐に渡る問題についてはとてもコメントができないものですから、私は「取締役の責任の分割」に限定して話をさせていただきたいと思っております。
そういった中で遠藤先生の問題提起は、私にとっても非常に新鮮なもので、それを受けてどのように考えるかと非常に悩まされた遠藤先生との大学院の授業であったという風なことなんですけれども。私は二つの大きな視点から「取締役の責任分割」ということについての、多少の問題を提起させていただいて、遠藤先生の問題提起をどのように受け止めるべきか、ということについての私なりのコメントとさせていただきたいと思っております。
その1つというのは、「最近の商法改正と取締役の責任」という観点から見て、責任分割というのが現在の解釈の中でどのくらいのものを位置づけられるのか、意義を持つのか、ということであります。もう1つは、「今後の商法改正と取締役の分割責任論」ということで、今後予想される色々な趣旨の会社立法の改正の流れの中で、この分割責任論というのはどのように評価されていくべきなのか、ということについての多少のコメントをさせていただきたい。その2つの点から、大まかな問題提起ですけれども、させていただきたいと思います。
まず第1点の、「最近の商法と取締役の責任」ということでは、今遠藤先生がおっしゃいましたように、昨年12月の改正で取締役の責任がそれぞれの報酬額の年数分において限定される。それが5月から施行され、他の改正はまだまだ3年後だという話ですけれども、この責任限定だけは5月にもう施行されてしまうという形で、その中でもこれがある意味では先食い状態であるという状況の中で、本当に分割責任を認める意義があるのだろうかと。
いわば取締役の責任がこういう風に報酬の何年分というような限定ができるようになった時、そのある意味では責任限定された範囲内であれば、連帯責任を認めていても別段問題はないのではないだろうか。
あえていえば、そういった取締役の責任を追及するというのは、現実には多くの場合ほとんど株主代表訴訟である。そういった株主達の挙証責任・立証責任といったような場合で、損害への取締役のそれぞれの寄与度、これをもってそれぞれの取締役の損害賠償責任額というものを立証する責任をもし原告に負わせるというようなことになれば、これは現在の状況ではほとんど事実上不可能に近いのではないか。
取締役の職務分担の細かいこと、それぞれのどういうようなどういう形での損害に対する寄与度があったかというようなことは、株主にとってみれば非常に挙証が不可能である。ということを考えますと、後ほど多分ご指摘があるのではないかと思いますが、この立証責任という、それとの関連の中で捉えない限り、非常にこれは事実上免責につながるものではないか、という風に考えなければばらない。
それから例えば具体的に問題となるとすると、取締役が色々責任を負うとしても、大和銀行の場合で明らかなように、取締役達は責任を負ってくる過失認定の時点が違う。言い換えれば損害に対する寄与の出発の時点、相当因果関係の範囲が違う。ということではそもそも、最終的な会社の全損害額に対する、そのいわば因果関係の範囲が違うのであるから、はっきり言えば取締役の責任もそれぞれの範囲内のものであるという形では、全損害についての連帯責任というのはありえないのではないか。たまたま同時期に例えば同じ立場で監視義務を怠っていたという、そういうような場合に、まさに同時に相当因果関係内が出発してその中の損害額が一緒になると。そういった場合に分割責任ということをいうのか、またはそれはもう連帯でいいのか。
これは解釈論的にいえば266条1項の「行為をした」というのが共同で行為をしたと見れば共同の場合は連帯、共同でない限りはそもそも始めから法律上の条文からいっても分割責任である。分割責任が原則であり、連帯責任が例外的な政策的に負わされているものだということからいうと、そもそも、連帯になる場合というのは非常に限定されてくるのではないか、という風に考えられる。
そういったような監視義務ということによる責任と言っても、この監視義務というのは、個々の取締役が監視義務に違反してても、損害をある意味では防止できなかった、拡大を防止できなかったなどという問題は、これははっきり言えば取締役会の監督が個々の取締役の監視義務を怠っていた結果、取締役会として監督できなかったというのが直接のある意味では原因となるものであるから。そうすると取締役会としての監督責任ということでいえば、これはある意味では連帯なのではないか、みんなが連帯している、と言うようなこともある。
そしてこれが後述するように、例えばこの6月に改正ができて、例えば監査委員会というようなものが出来上がっていたと、いう風な事を考えたとき、監査委員会として監督責任を怠っていた、監査責任を怠っていた、そういった場合にこの監査委員会を構成する社外取締役達のそれぞれの寄与度というようなものによって、その責任を分割することがふさわしいのか。またはこの監査委員会全体としての連帯責任として負わせる方がある意味では正しいのか。いわばこれは非常な政策的な判断だと思いますけれども、そういう意味では、その分割責任の有効性というのは一体どの程度のものがこの今の段階でもありうるのだろうか、ということで、私はかなり守旧派か保守的か分かりませんけれども、その遠藤先生の幅広い、しかも本当に視点が今まで考えていなかったような視点による問題提起を踏まえて、私の方でも非常に勉強させていただいたんですけれども、そういった意味では有効性の範囲というのはかなり現行においても限定されたものではないかなというように感じております。
そういう中で、今後の商法改正というものを考えた場合にさらにどのように評価すべきか、ということの問題意識を持つに至ります。
というのは、実は3月12日付の自民党の法務部会の商法に関する小委員会の問題提起とか、4月19日の今回の商法改正に関する衆議院の法務委員会における付帯決議といったものを踏まえて、今後の商法改正といったものの立法課題を考えていくときに、次のような事が問題になるのではないか。
すなわち、今後の商法改正等においては、取締役の責任について、無過失責任とされているものをかなり過失責任化しろというような意見がかなり強くなっている。それから、アメリカ型の訴訟委員会、いわば株主代表訴訟等について経営判断の原則の元で却下するというようなことの制度の導入だというようなことが言われて来ている。そういったような今後の商法改正といったようなものを考えた場合に、分割責任論というもののいわば意義がどのように評価されるものかということを少し考えてみたわけです。
というのは、訴訟委員会というものが日本においても導入されてきて、そのどういう場合に株主代表訴訟を却下事由としうるかどうかという問題の中で、例えば余りにも損害に対しても寄与度が低い人に対しては、もうこれは、訴訟委員会などにおける却下を認めるということになっていったときに、そうすると、そういうようなものを除いた中で、分割責任ということを特にあえて言っていくほうがいいのか、またはコーポレート・ガバナンスの観点から言えば連帯責任のほうがいいのか。そういったような訴訟委員会の中における今後の仕組み事態にも関わりますけれども、そこでかなりの分が却下されるというような状態になった段階においての取締役の責任を考えた場合、分割責任論という形でその責任を考えていくことの方がいいのかどうか、もう少し慎重な検討が必要なのではないかと。
そういったことはさらに、先程述べました12月の改正の有限責任論だとか、それから現在いろいろ挙がってきている中の、執行役制度、これによって責任の範囲が非常に限定され、それから取締役として責任を負わされる者の人数が非常に限定されてきているという中で、分割責任論というのがどこまでいいのか。今言ったような過失責任論という組み合わせにおいて、というような形で、今後の商法改正といったものを考えた場合、取締役の責任の軽減はもうかなり図られているのではないかと。
そういう反面において、ではコーポレート・ガバナンスをきちっと確保していくといったことを考えていく場合に、株主代表訴訟の意義というのは、やはりこれはコーポレート・ガバナンスの一つの大きな柱ではないかと。そういう株主達が責任を追及していくときに、分割責任というのが本当に責任追及を十全にいかす道になっていくのか。非常にその辺りのバランス論を今後は慎重に検討しなければならないのではないか。
さらに、今後もし問題となるとすれば、会社の重構造化の中で、いわば定款自治なんかの非常に拡大のある商法改正がなされている。そういった中で、取締役の経営判断というものが非常に大きな責任の原因事由となってくるだろうけれども、そういったような経営判断というものによる責任追及というものを考えた場合、この経営判断というものは、必ずしも一人で、単独でなされるわけではないのである。そういったところにおいては、やはり分割責任論というのは、非常に慎重に検討していく課題ではないかというふうに思っております。
なにしろ、遠藤先生の問題の視野及び問題提起が非常に多岐に渡り、雄大な構想なもので、私のように狭い範囲だけで物事を捉えていくことによっては本当に評価できるのかどうか、これは非常に心許ないのですけれども、遠藤先生の非常に雄大なスケールに基づく構想に触発されて本当に狭い範囲からちょっとくすぐってみたような問題提起とさせて頂きたいと思いますけれども、本当に簡単な私のコメントですけれども、私の多少の意見ということで、これで私の発表は終わらせて頂きたいと思います。どうもご静聴ありがとうございます。