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分割責任 総論 遠藤直哉
  現代の社会には、様々な危険があります。車を走らせていれば、いつ人が飛び出してくるか分かりません。横断歩道を渡る時にも、右左と見ないと車が突っ込んでくるかもしれません。また、職場で働いている時にも、特に自衛隊、警察、鉄道、航空、船舶、建築土木などでは常に危険にさらされています。危険な職場でないところでも、パソコン画面を見続けて目を痛めるかもしれないし、上司からセクハラを受けることもあります。夫婦の生 活の中でも、妻は夫の暴力、不倫に脅かされ、果ては愛人が夫を奪うなど、油断もできません。楽しいはずのレジャーでも、スキーヤーやスノーボーダーの衝突、ゴルファーのスライスボールによる大けがなど、枚挙に暇がありません。
  このような場合に、確かに、加害者は悪質だったり、不注意なひどい人問や組織と言えます。被害者が加害者を裁判で訴えれば、大体は勝つようになりました。つまり、人を危険な目に迫わせた会社、自治体、国、個人は、責任を取らされるようになったわけです。ただし、昔は勝てるとは限りませんでした。だからこそ、以前にはセクハラの裁判はありませんでした、上司が触ったり、いやらしいことを言っても、ケガをしたわけでもないので、裁判をしても負けてしまったのです。ハンセン病についても、病気とされた方々が裁判をしても勝てそうになかったので、訴訟にすらならなかったのです。
 しかし、現代の社会では、加害者はほぼ責任を取らされるようになりました。弁護士、裁判官、法律学者の努力がようやく実ってきたのです。欧米の法律を輸入してから約130年という短期間で欧米の裁判制度に追いついたのは、鴛異的なことです。この制度の中では、加害者は責任を取らされる者、賭償金を支払う者、義務者とされました。被害者は、賠償金を請求する者、権利者とされました。権利者は100、義務者はOと価値が評価されました。オールオアナッシングの世界です。昔は、被害者が裁判で負けたということは、まさに100取れる人が0と評価されたという過酷な、ひどい社会でした。訴訟はバクチでした。米国ではもっと大バクチが横行したのです。しかし、以代社会では、被害者は原則として救済されるということになったのです。ただし、ここからが重要な語ですが、「原告勝訴」という喜ばせる判決の中身は、実は、金額にするとかなり安くなってしまっていたケースが多かったのです。例えば、5,000万円を請求すると、勝訴というものの、半分の2,500万円しか認められないことが続いてきました。米国では2億円請求して1億円になったという状況です。どうして、権利者とされるものが100ではなく、50しか認められないのでしょうか。
 すなわち、本コラムでは、この不思議な現象を解明したいのです。今までの社会の語の続きというものの、現在まさに進行している最も新しい状況の諸です。あるいは、将来の社会を切り開きつつある考え方です。被害者が100、加害者が0でもない社会、例えば被害者が70、加害者が30の世界です。被害者は必ず勝利し、絶対に負けることのない社会、ただし、金額は少し減額されます。加害者は必ず負ける社会、ただし、少し減額されます。なぜ、このように考えられるのでしょうか。
 結論は、被害者にも少し落ち度やミス、何らかの原因があるということです。夫が妻を殴ったとします。よく聞くと、妻が暴言を吐いて挑発したり、外泊したり、妻の側にも何らかの原因があるのです。このように、双方に責任がある場合がほとんどなのです。法律用語では、双方の不注意を取り上げて、請求額を減額する方法として、「過失相殺」と言います。あるいは「責任の分担」「責任の分割」とも言います。現在の社会では、あらゆる領域で適用されるべき考え方です。車を運転している時に、子供が飛び出して大怪我をしたとき、例えば運転者に五割の責任、子供に五割の責任とされることがあります。子供の賠償請求は、五割の金額に減額されます。このように理解すると、人は飛び出さないように注意するようになります。運転者も飛び出しに注意して、速度を落とすようになります。前述の夫婦の例でも、夫や妻は外泊などして疑われないようにします。その結果、事故や紛争自体が起こらなくなる理想の社会が実現するのです。
過失相殺ならばよく知られていると恩われるかもしれませんが、より広く「責任分担の思想」として、信義誠実の原則、寄与率の適用などにより、拡大しています。裁判例をみてもわかりにくくなっていますので、これをわかりやすく説明することにします。
〈弁護士〉