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好意関係・被害者側の事情 遠藤直哉
  過失相殺とは、ある人が事故に遭い、損害を受けた場合に、その被害者に過失があるときです。しかし、被害者に過失がなくても、過失相殺と同じように被害者の請求金額が減額される場合があります。
  第一は、他人の好意にすがって何かを依頼したが、たまたま事故が発生したときです。よくあるのは、好意同乗です。Aが友人Bの車に乗せてもらうことがあります。頼まれたBは、親切で同乗させるわけです。しかし、Bの運転ミスで事故を起こし、Aがケガをしました。このような場合には、AがBに対して損害賠償請求する場合には、Bの好意や人助けを評価して請求金額が減額されます。おもしろい例として、女性Aが、知り合って間もない男性Bの車に同乗したときには、倫理的要素を加味して減額したという判例があります。しかし、倫理的な理由というのは余計なお世語であり、むしろ粗暴な男性Bを選んで運転してもらったというAの不注意があったというべきでしょう。正確には不注意というより、本人の自己決定に責任を持つということでしょうか。
 また、有名な事件となった、いわゆる隣人訴訟があります。Aが近くの家、又は友人Bに自分の子供を預けた場合です。子供を預かったBの不注意でケガをしたり死亡した場合に、やはり好意で預かってもらったために、依頼した方の被害者Aの請求金額は減額されます。日本では、子供を預けたAが損害賠償訴訟を出したところ、全国から取り下げろなどという非難やイヤガラセが殺到しました。米国の学者は、このような現象を大変日本的なものだ、法律より義理人情の社会だと論評しました。
 次に、いわゆるボランティア関係です。最近ボランティアの活動が非常に盛んになっています。例えば、少年野球チームやサッカーチームの監督を無償で毎週行ったり、子供たちをハイキングに連れて行く場合などです。大変賞賛されるべき行動です。このような場合に監督やリーダーのミスで事故が起こっても、好意で子供たちを楽しませたり教育しているので、無償の活動に対して損害賠償義務を負わせることは酷となります。そこで、被害者の請求は減額されます。無償で好意で行動している人に対する多額の損害賭償を認めては、そのような善意を青てられなくなるからです。
 以上のような場合はすべて、好意や善意を評価して金額を滅らしています。社会的には妥当な解決です。しかし、法律的には被害者に過失があるとはいえないので、過失相殺とはならない非常に難しい間題とされてきました。それが現在では、過失相殺に準じて大幅に認められるようになってきました。
 第二に、被害者側に身体的素因がある場合です。例えば、Aのお腹をBが軽く打ったにもかかわらず、Aが大ケガをしてしまった。このような例で、Aが胃ガンや胃潰瘍の手術をした直後であり、Bはそれを知らなかったということがあります。このような場合には、Aには何らの過失もありません。しかし、Bもまさか相手が大ケガをするとは思っていません。同じようなケースとして、Aの車がBに追突され、Aがひどいむち打ち症になったときに、Aが既に何らかの首の病気(例えばヘルニア、分離症)にかかっていた場合にも、Aの事情が考慮され、過失相殺の考え方に準じて、被害者Aの請求が減額されます。被害者にしてみれば、自分に全く落ち度がないのに減額されるので、納得いかないものです。前述の好意関係よりさらに難しい間題といえます。
  そこで、裁判官は、被害者の感情を逆撫でしないために、判決書には被害者側の事情を書かないで、損害額を下げて認定する場合もあります。つまり、判決書には書きづらいことをはっきりとは書かないことがあります。裁判官は、損害額を決めるのに大幅な裁量権があるとされているので、そのような処置ができるのです。
第三に、3歳又は4歳の子供が道路に飛び出した場合です。このような場合に、子供を監督する親や保母さんが通常はいるはずです。そこで、親や保母さんの不注意を子供の不注意とみて、やはり被害者の請求金額が減額されます。老人の場合でも同じです。しかし、子供や老人の場合には、本人の判断能カがないことにより突発的行動が発生し、事故となります。つまり、被書者自身には、本人の責任による過失はないという事実があるのです。他方、保護者が付き添っていれば事故を避けられることがあります。保護者の不注意が減額原因となるので、過失相殺に近い考え方となります。被害者側の事情が滅額原因となるので、前記の例と同じように処理されています。
〈弁誕士・桐蔭横浜大学法学部教授〉