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女性の権利としての着床前診断
−大谷医師の除名は憲法違反
   

1. 着床前診断を認めるガイドライン化(患者のための指針化)の必要性
 平成16年2月4日、読売新聞が一面トップで神戸の大谷産婦人科(大谷徹郎院長)の「無申請の着床前診断」を批判的に取り上げた。その後の情報も合わせると、大谷医師は、着床前診断を3例実施していたことを明らかにし、2例は染色体異常などの障害を心配した者、1例は男女生み分けを希望した者について、診断を望んだため実施したとされている。平成16年2月21日日本産科婦人科学会理事会では、会告に違反するとして、大谷医師を除名処分にする方針を決め、本人から弁明を聞くなどした上で、4月10日の代議員会にはかり、正式決定するといわれている。未だ理事会の方針だけであり、代議員会では、相当紛糾することが予想される。日産婦会では時間をかけて会員の間で討議をしていないのであり、また多くの患者の意見をも聞いていない。筆者は、日産婦会の会告はガイドライン(訓辞的規定)であり、医療行為について会告違反があっても、除名すべきではないとの主張を続けてきた(1)。58年会告を作成された飯塚理八元会長は、日頃から「会告はガイドラインにすぎず、米国のように3年毎に見直すべきであり、違反したら除名などとは全く予定していなかった。」とおっしゃっている(2)。過去においても会告違反につき、常に除名されてきたわけではない。平成10年に除名された根津医師も、訴訟上の和解調書に基づき、平成16年2月26日付で、日産婦会に復帰した(3)。大谷医師の診療行為は、女性及び患者のニーズに答えたもので、社会において大いに支持されるものであり、日産婦会の会告を柔軟なガイドラインと考えるべきである。会告を厳格なルールとみなすと、着床前診断に関する平成10年会告の個別審査方式は、過剰規制として適正手続違反であり、かつ女性の権利侵害として、公序良俗違反、及び不法行為を構成することとなり、会告自体が憲法違反となる。また、日産婦会が過去に鹿児島大学、セントマザー産婦人科医院の申請を却下し、現在、名古屋市立大学、慶応大学の申請を認めないということは、運用において憲法違反を犯している(4)。臓器移植の法令・ガイトラインが、移植学会のリードの下に、医師・患者のために指針として作られ、これが有益であることと対比すれば、ほとんど一切禁止に等しい会告は、医師・患者に害悪としかならない。結局、日産婦会や1部のマスコミの大谷医師いじめは、女性への権利侵害そのものであり、声を出せない女性や患者への過酷な仕打ちに他ならない。以下外国でも高度な技術を学んだ成果を持つ大谷医師の診断(5)をめぐり、関係する歴史的事実を検証しつつ、その正当性を明らかにする。
 なお、着床前診断を受ける権利は、夫などの男性側も持つが、現段階では、中絶を回避できるという大きなメリットからみると、主として「女性」の権利ととらえることが分かりやすいので、本稿ではそのような表現とした。


2. 優生政策(強制、他者加害、差別、治安対策、隔離、中絶、不妊手術、安  楽死)
 1900年前後から、全世界で、優生思想に基づく治安政策が取られた。その特徴は強制、差別、他者加害である。
 (1) 過去において、優生思想は次のような法律、政策として実施されてきた(6)。
@欧米 米国を始めとして、多くの国の断種法では精神障害者、性病患者、
ハンセン病患者、アルコール中毒者、同性愛者、犯罪者などに対し、隔離したり、子孫を残さないために、不妊手術、中絶手術をさせた。米国の絶対移民制限法では人種差別思想の元に、劣等とみなす民族の移民を制限し、性交・結婚禁止法では劣等とみなす民族との性交・結婚を禁止した。米国では人種差別を中心とするが、民主主義、社会主義の思想をもってしても、ワイマール共和国、北欧の福祉政策においては、優生政策を採用して大大的に上記と同じように障害者を減少させようとした。これらの多くの政策はナチスに引き継がれたという歴史的事実があり、ナチスの安楽死、大量虐殺が加わった。今ではこのような政策は他者への加害として絶対に許されない考え方として定着してきた。
A日本 日本もごく最近まで、悪しき優生政策がとられてきた。1940年
に国民優生法を成立させた。上記の諸外国の断種法、特にナチスの法をモデルとしたものであった。他方、戦争のための「産めよ殖やせよ」の政策もとられた。1948年に優生保護法が成立し、遺伝性疾患、ハンセン病が中絶および不妊手術の対象となった。51年、52年の改正では精神病などが中絶の対象に加えられ、更に52年優生目的の不妊手術の目的が拡張された(しかし、1996年、優生保護法は優生学的規定が削除され、母体保護法に改められた)。
 (2) 以上の歴史から、優生政策の名の下に、人の身体に対する危害を加えること、妊娠中の母体及び胎児に対する危害を加える行為、本人(母体および配偶者)の意思を無視して、施術を行うこと、障害者又は社会的弱者について差別することなどは許されないこととなった。他者への加害の禁止の確認と共に、自己への加害についても、本人の同意があっても無制限に許されるわけではなく、パターナリスティックな制約の原理が生まれた(7)。

3 中絶自由化の世界的傾向 (自己決定権、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ、選   択的中絶、着床後出生前診断、自己加害の課題)
 (1) 1960年代後半から、世界的に中絶自由化の運動が高まった。その結果成立したアメリカの期限モデル(1993年)は、下記のものである(8)。
@(完全自由)妊娠初期の約3ヶ月までは中絶の決定ならびに実施は妊婦の
自己決定権に委ねられる。
A(原則自由)約3ヶ月以降から母体外で生存可能になるまでの妊娠中期に
は、なお原則として中絶は自由であるが、中絶することが母体の健康を害する場合には、その中絶を法で禁止し、処罰することができる。
B(原則禁止)胎児が母体外でも生存可能となる妊娠後期については胎児の
生命の保護が優先し、原則として中絶を禁止し、処罰することができるが、妊娠の継続及び出産が母体の生命・健康にとって危険をもたらす場合には、中絶することができる。
  西ドイツ以外の多くの国は、このモデルを採用した(9)。しかし、旧
西ドイツでは「適応モデル」といわれる判決を下した。すなわち、「法律は適応事由のある適法な妊娠中絶とそうでない違法な堕胎とを相互に限界づけなければならない。」とした。
 (2) 日本では、事務次官通知により、中絶期間(生命を保続することのできない時期)は昭和28年の「8月未満」から、平成2年の「満22週以前」まで短縮されてきた。中絶は、本人の意思に基づき、優生学的理由に加え、身体的理由(母体の保護)、経済的理由(貧困)、倫理的理由(レイプ)で実施された。このような状況の中で、出生前診断の技術が進歩し、実施されていった。しかし、胎児の人権と母体の保護の視点から、女性の完全な自己決定権が肯定されたわけでもなかった。日本では、堕胎天国といわれる程、事実上中絶が行われ、世界の中では異例の国であったが、生命尊重論(胎児の保護)、人口増強論から、中絶をし得る理由を限定する動きがみられた。すなわち、優生保護法第14条の経済的理由を削除し、新たに胎児条項を提案するものであった。その条文は、優生学的理由を持ち、他の条文とも重なる点があったが、「その胎児が重度の精神的又は身体的障害の原因となる疾病又は欠陥を有しているおそれが著しいと認められるもの」に中絶を認めるという内容であった。しかし、経済的理由の別除については女性団体から反対され、胎児条項については障害者団体から反発され、いずれも採用されなかった(10)。ドイツでも日本で70年代に出された胎児の人権尊重、障害者差別阻止との意見に基づく批判が80年代になって出生前診断に対して向けられ、70年代に導入された胎児条項が90年代になって削除されている(11)。一方では血友病、筋ジストロフィーなど、科学的には遺伝的障害が発生する事実が確認されている場合に、本人への充分なインフォームドコンセントの下に行われる、本人の意思に基づく中絶は、自己決定権の選択として認めるべきである、本人の希望により、自己決定権、選択権を認めるべきであるとの意見(プロチョイス)が強まっていった。しかし他方、本人の自己決定に基づく自己への加害と言えども、中絶による母体の保護、胎児への人権を配慮しなければならないという意見(プロライフ)は依然として根強かった(12)。


4 着床前診断 (中絶の回避、他者加害と自己加害の消滅、優生思想との訣別)
 しかし、着床前診断の発展により、状況は一変したといえる。上記中絶についての激しい論争が一定の分野で終了したといえる。
(1) 着床前診断においては、中絶をする必要はなくなり、母体、胎児への危
害行為をする必要はなくなった。中絶の危険を負うことなく、出産への選択権を持つという最も大きな利益を受けられることとなった。女性、配偶者の完全なる同意のみが要件となる。他者加害を本質とする過去の優生思想と訣別できることとなった。中絶の自由を障害者差別の課題と切り離して考えられるのかという問題を解決した。すなわち、受精卵は胎児ではないので、障害胎児を中絶するわけではなく、また偏見差別意識を助長するものでもない(13)。かつて、着床前診断に対し、障害者団体より反対があったが、人々の偏見や差別意識をなくす方法を他にとるべきであり、女性の絶大な利益を奪うことはできない。
(2) 上記の中絶の期限モデルによれば、妊娠初期においては自己決定権に基
づく完全なる中絶の自由が与えられている。このことから言えば着床前における女性の権利は完全に保証されてしかるべきということになる。
(3) 着床前診断については、他者加害、自己加害と無関係となったので、悪
しき優生思想と切り離すことができる。着床前診断に反対する論者がほとんど理由をあげることなくこれを「自発的な優生学」「レッセ・フェール優生学」「生命の選択」と非難するのは(14)、具体的歴史を無視して、抽象的、心理的かつ情緒的反応をしているにすぎない。女性や患者の具体的苦しみを想像できない、いわば男性中心の男性優位の考え方であり、一種の優生思考とも思える。また、たとえ従来の優生学の概念を広く使っても、着床前診断は消極的優生学の範疇でしかなく、積極的優生学の範疇に入らないので、病気の除去や回避については着床前診断を肯定すべきとの意見が圧倒的多数である(15)。
(4) バイオエシックスの大きな対立軸は、「自由主義、自己決定先行型、主観的
自己決定型、アメリカ型」と「共同体主義、社会性先行型、客観的代理決定型、ヨーロッパ型」と要約できる(16)。
   この対立軸は、中絶、安楽死、臓器移植、代理母などにおいて、他者加害及び自己加害はどこまで許されるのかという争点の整理について有効であった。しかし、着床前診断については、加害自体がなきに等しいため、前者の立場では当然として、後者の立場でもこれが許されるものと確認できる。
(5) 着床前診断の方法として、安全かつ90%前後確実な方法として、PCR法に続き、FISH法が開発されている。診断率は、後者の方がやや高いが、基本的には内容において大きな差異はない(17)。国民からみれば、医者と患者の選択権に委ねるべきであり、日産婦会が強い規制をすべき問題ではない。


5. 男女生み分け (優生思想との無関係性、他者加害と自己加害の不存在)
 純然たる男女生み分けは、優生思想とは無関係といえる。また、中絶によるものでない限り、他者や自己に危害を加えるものでもない。それ故、男女生み分けに反対する理由は、男女の数のバランスが崩れるという理屈のみ残る。しかし、以下の理由により禁止する程のものではないと考えられる。
(1) 3人目からの男女生み分けを認める方法は問題ない。特に、合計特殊出生
率1.32を前提とすれば問題ない。
(2) 2人目から1人目と異なる生み分けを認める方法も問題ないと言える。例
えば、第1子目男の場合には第2子目女、更に第3子目には男とすることである。
(3) 米国では、男女生み分けが実行されている。また、日本でも社会的には認
知されているといえる。飯塚理八先生の開発したパーコール法による生み分け法は杉山四郎医師を中心とする全国800名以上の医師で作る SS(Sex Selection) 研究会の多くの医師により実施された(18)。平成6年に会告で禁止されたにもかかわらず、継続されていることはほぼ間違いない(19)。男女産み分けの家庭医学書は本屋にずらりと並び、産婦人科医のホームページにもおびただしい宣伝がされているのは、多くの人々が産み分けを認めているどころか、これを強く望んでいる証拠である(20)。生殖医療法の泰斗である中谷瑾子博士もこれを禁止する必要はないといわれている(21)。
(4) 生み分けの実行者は全体から見れば極めて少数であり、男女比のバランス
は崩れない。杉山医師の説明によれば、1年間で約150万人が出生し、7年間でざっと1050万人となるが、その間の全国のSS研究会会員が手がけた生み分けは約5000人であり、わずかであった。また、人工授精や着床前診断など費用や手間のかかることを第1子から行う確率は極めて低い。

6. 平成10年会告は憲法違反(人権侵害)
(1) 女性及び患者の権利 
  @産む権利
A最新の医学的治療ないし医療行為を受ける権利
Bリプロダクティブ ヘルス/ライツ
C着床前診断は、医師のインフォームドコンセントの下で完全なる患者の自
己決定権に任せるべきものである(幸福追求権、プライバシー権)。国家や団体が介入すべきものではない。
 (2) 適正手続違反(デュープロセス違反、実施不可能な過剰な規制)
 出生前の診断および施術に関する会告は下記3つが存在する(22)。
@昭和63年1月会告「先天異常の胎児診断、特に妊娠初期絨毛検査に関す
る見解」
A昭和61年11月会告「パーコールを用いてのXY精子選別法の臨床応用
に関する見解」
 平成6年8月「XY精子選別におけるパーコール使用の安全性に対する見
解」
B平成10年10月会告「着床前診断に関する見解」

 上記@Aはその実施が禁止又は制限されているだけであるので、事実上会告違反の状態が黙認されている状態となっている。これに対してBにおいては日産婦会が申請された疾患毎に審査することとなっている。つまり、申請しない実施自体が会告違反となる。それ故、会告を法律と同様に考えるならば、Bの規制の仕方は過剰、不必要なものとなる。ガイドラインを作るとしても、@Aと同様の方法にすべきものとなる。すなわち、@の着床後出生前診断と同様に、染色体異常、伴性劣性遺伝性疾患、先天性代謝異常症などに関し、少なくとも同じ範囲で許されると解釈できる。もちろん、胎児や母体に対する加害が無いことを考えれば更に@よりBが適用される範囲が広くなることは当然である。患者の個別診断を基に、プライバシーを守りつつ、大量の申請について日産婦会が審査することは不可能であるばかりか、女性の自己決定権への介入としての過剰規制であり、憲法違反である。また、他にこのような制度はない。
 (3) 女性と患者への権利侵害(公序良俗違反、不法行為、権利の濫用)
   日産婦会は全国の産婦人科医の大部分が加入する職能別団体であり、会員である産科婦人科医への指導や情報提供を通じて患者の権利義務にも関与する極めて公的な性質の強い公益社団法人である。このような団体の人権侵害は国家による人権侵害と同視できる。すなわち、憲法についての間接効力説は、私人間の人権侵害行為を排除する必要かつ十分な立法措置が一般に期待できない以上、憲法の人権保障の精神に背馳するような行為を放置することは許されず、特にそれを禁止する法律規定がない場合でも私法の一般条項などを通じて排除されるべきであるとする(23)。
 最高裁判所も、「私的支配関係が存し、個人の基本的自由や平等に対する侵害の態様・程度が社会的に許容しうる限度を超えるときには場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条(権利の濫用)、90条(公序良俗違反)や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって私的自治の原則と人権との適切な調整をはかる方法も存する」と指摘している。
 (4) 日産婦会の運用違憲(2件の申請)
 日産婦会は、名古屋市立大学、慶応大学の申請を受けてから数カ月たつのに、未だにこれを棚晒しにしている。わずか2件ですら審査に長時間かけ、かつ却下の方向に向かっているとも推定される。申請した患者への権利侵害はまさに、国家権力による人権侵害と同じとなっている。
 (5) 女性のニーズの大量性(権利侵害された患者の損害賠償請求訴訟)
 根津医師の代弁した非配偶者間体外受精、代理母の患者の数と比較すると、大谷医師の代弁する着床前診断を望む女性の数は比較にならないほど多い。また、多くの女性の共通の悩みであり、プライバシーを克服しても世に訴え出る患者もいるだろう。それ故、権利侵害を現に受けている多くの患者は日産婦会に対して損害賠償訴訟を提起し、裁判所はこれを認めることが予想される。